寺の原点

 世話人のTさんがやってきた。ひとり住まいの檀家(だんか)さんの家に護持会費の集金に行ったが、しばらく前に埼玉の息子の所へ転居してしまったらしいとのこと。Tさんは「和尚さんどうするベ」と困惑しきりである。
 長泉寺では会費納入方法を世話人による集金から振替送金に変える檀家が年々増えている。戦後の好景気時代、若者は都会に仕事を求め町を出て行った。当時、残った親たちはまだまだ若く、店も田畑も任せろ、と頑張ることができた。その親たちも高齢となり、もうこれ以上は踏んばれないと息子を頼って町を出て行くのである。町内の地域によっては隣組の半数近くが転出した所もある。地域から人が消えるのだから、その人々によって支えられている寺院の存続は当然危ういと考えられよう。
 一般家庭の後継ぎが絶える問題はそのまま寺にもあてはまる。過疎地の寺の住職が亡くなり後継者がいない場合、本寺(本家にあたる寺)や近くの住職がその寺の住職を兼ねるのである。この兼務住職が年ごとに増えているのだ。寺族(住職や妻や子供)が残り寺を守るのはそれでもいい方で、誰もいなくなった兼務寺は当然ながら玄関に鍵がかけられ、葬儀や特別の集会以外に人の出入りはない。
 宗門では今、それぞれの寺の経済的自立ができるよう複数の宗教法人の統廃合が必要との議論がされている。例えば檀家百軒の寺と二百軒の寺を一つにして檀家三百軒の寺にするというようにである。檀家が多くなれば伽藍(がらん)の維持など一軒あたりの負担は軽くなるし、葬儀や法事の布施収入が多くなるので住職家族の生活は安定し後継者も得やすい。
 だが、この合併はなかなか進まないのが実情である。長い歴史の中で地域に根付いた先祖代々の寺を自分たちの代でなくすのは先祖に申し訳ないというのである。さらには、葬儀の時だけ他から坊さんに来てもらってお経をあげてもらえばそれで十分ということも聞いた。
 現在日本では一夫婦に子供が平均1.4人。少子化が進む中、自ら一生シングルを選ぶ女性、結婚は希望するがなかなかまとまらない男性が急増している。家を守り続けることさえも不可能になりつつある時代なのだ。家が代々続かないのだから先祖崇拝もなくなるのかもしれない。先祖供養でなりたっている今の寺院の将来はあるのだろうか。
 暗たんたる思いで気がめいっている時、千葉に住むお檀家の墓参りがあった。彼女の父親は若い時に石川を離れ、その後、千葉で会社勤めをしていたのだが、一昨年がんで亡くなられた。その葬儀は私が千葉まで出向いて執り行った檀家である。この地に行き来している親戚はないが、先祖からの墓が長泉寺にあるということで、父親の遺骨はそこに納めたのである。昨年の命日には家族だけで一周忌の法要を行い、墓参の後、庫裏の広間でお斉のお膳をともにしながら、夕方までゆっくりと過ごしていかれた。
 今回は一周忌以来、半年ぶりの来寺である。こたつに招きお茶を入れていると、娘さんがポツリと「私にはふるさとがないんです。このお寺をふるさとにしていいですか」。突然の質問にとまどっていると、「心のふるさとでいいんです」。気持ちよく了承したのはもちろんである。
 彼女にとっての父親は仕事ひと筋で決して家庭的な存在でなかったという。そのため時には反抗したこともあったと話す。「でもなぜかお父さんのお墓参りをするとホッとするんです」。
 田舎の寺は近代化されない素朴さがあって、都会の方には逆に魅力なのかもしれない。寺の和尚とのんびりお茶を飲む、このなんでもないことが心を和ますのかもしれない。寺参りが、血を分けた者とのいのちの流れを再確認させるのかもしれない。彼女の「心のふるさと」という言葉が寺の原点を教えてくれたように思えた。なんだかうれしくなった。



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