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坊さんの目にも涙

 お恥ずかしい話だが、最近とみに涙もろくなつてしまつた。厳粛であるはずの葬儀の読経中、なんかグッときてしまいお経が続かなくなることがたびたびある。時にはしゃくり上げるような事態に陥ってしまうこともあった。
 一歳年下のYさんの時もそうだった。岩瀬農高を卒業し、新しい農業経営を夢みる優秀な青年だった。石川における大規模酪農の草分けの一人だった。
 乳製品の輸入自由化の後、シドキやタラの芽といった山菜農業へ転換をはかり、農村と都市との交流を構想して家の周りに梅や柿やブルーベリーといった実のなる木々をたくさん植えては私たちを招いていた。農閑期には他の仕事に出ながらも、「私は百姓」が口ぐせだった。そして鉄工所にアルバイトに出ていて作業中に機械に巻き込まれての事故死だった。
 私にとって学ぶことの多い心の友だった。檀家でもあったため、お知らせを受けて枕経に臨んだのだが、変わりはてた友の顔を見るや、もうだめだった。親族、縁者の囲む中、鼻水だらだら流しながらお経にならない情けない姿を呈してしまった。
 Aさんは寺の世話人で、自動車修理工場の社長さんだった。人望がありPTAなど地元の役職をたくさん持ちながら、永平寺や総持寺の研修会には率先して参加する信仰心の篤い方だった。寺や護持会のために建設的な意見を述べてくれる頼れる協力者の一人でもあった。将来を期待していただけに残念でならない。享年五十六歳。
 Aさんの火葬の時、奥さんがすすり泣く気配を感じたらもうだめだった。途中からお経が読めなくなってしまった。そんな私の姿を見てか、Aさんの長男は未婚の二十代にもかかわらず、Aさんの後を継いで寺の世話人を務めていてくれる。
 この他にも葬儀の最中、絶句いや絶経してしまい、泣き出す寸前で気を取り直し大事に至らなかったことはたびたびである。多くの葬儀に関わっている僧の端くれとしてまことにお恥ずかしい限りである。
 初対面であっても、死にゆく方のそれまでの人生の重み、別れを惜しみ悲しみにくれる家族の思い、それらをチラッと思っただけでなぜか涙腺がゆるんでくるのだ。付き合いの長い方の場合、正直逃げ出したいほど気が重くなることもある。
 ここぞ坊主の出番、オレの引導で必ず成仏させてやる。苦労の多い人生たいへんだったね、悔やみとは苦がやむことなんだよ…そんな意気込みで臨む葬儀であるのだが。
 この地方には、親が子供に先立たれた場合、これを逆(さか)さを見たというのだが、両親は火葬場にも行かないし、葬儀にも参列しない習慣がある。初めてこの習慣を知った時、なんて非情な、子供にとって一番参列してほしいだろう両親に出てもらえないというのは理不尽な話だと思ったものだ。
 日本の文化は恥の文化といった学者がいる。人前で涙を見せない。取り乱した姿を見せない。これが日本の親たるものなのだと。
 しかし、親が火葬場に行かないしきたりは、世間体から出てきたものではないと近ごろ思うようになった。逆さを見た親の断腸の思いはいかばかりか。火葬場で悲しみのあまり気を失った母親もいた。かけがえのない存在を失くすとはこのように残酷なものなのだ。子を失くした親への同慈同悲の思い、周囲の思いやりがこんな習慣を生んだのではないか。
 多くの人を見送りながら、近ごろは、遺族ももっとこだわらずに葬儀に臨んでも良いのではと思うのである。私も恥ずかしがらないで涙を流しながら亡き方を送ろうと自分に言い聞かせている。



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