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寺からの本音「戒名と葬式」

 長泉寺の場合、戒名は、信士(信女)・清信士(清信女)・居士(大姉)・清居士(清大姉)・院居士(院大姉)という位階がある。
 本来、戒名の位階は本人の信仰心、宗教的な修養の度合、お寺への物的な貢献などを総合的に判断し、住職の宗教的な見識で決めるものである。そして、永平寺を開かれた道元禅師も言っているように家柄は問わない。あくまで本人個人の信心を重視するべきだ。
 とはいうものの、ほとんどのお寺は、檀家の戒名をその先祖の戒名に合わせて付けているのが実情である。先代が居士ならば次の代も居士というように。
 お寺を運営する上で最も大切なことは、檀家と寺の信頼関係である。戒名の位階の違いについても、檀家の誰もが納得できるものでなければならない。
 長泉寺が現在の三十九世住職になってからは、戒名の位階の長泉寺としての原則を決め、それにしたがっている。それは、葬儀を機に新しく檀家になった方の戒名は清信士(清信女)に統一していることだ。その後でお寺と仏縁を深めた後、金銭的な負担なしに、申し出により居士(大姉)に昇格できる。
 長泉寺は院号の戒名が少ない寺である。住職も役員もそうやたらに院号は授与すべきでないと考えている。院号の院とは建物の名称を指し、建物一棟を建立寄付するような貴族や殿様に与えたことに始まる。髙い位階が多ければ護持会や寺院の収入も多くなるが、昔の授与基準との整合性がつかなくなるからだ。
 さらにその上に院清居士(院清大姉)号があるが、この戒名については長期間にわたって身体で寺に貢献してくれた護持会役員、そして信心はもちろんのこと特段の物的貢献をしてくれたごく少数の檀家に限定している。授与戒名の位階はこれらの基準にそって、檀家が納得できるよう公正に与えなければならないと考えている。
 戒名についてさらにお話ししよう。戒名とは死者の名前ではない。仏教徒ならば守らなければならない戒(いましめ)がある。この十六条の戒めを守り真の仏弟子として生きていくことを誓った方に、その証としての戒名を授けたのである。だから戒名は生きている内にもらうのが本義である。しかしそのためには、永平寺や総持寺で実施される授戒会(じゅかいえ)という儀式に参加し、一週間にわたり戒について学び、礼拝などの修行をかさね、最後に禅師様から直接戒名をいただくのである。なかなかそのためのきっかけと時間的余裕のない者にとっては参加は難しい。だから方便として死後お葬式の前の時間を利用して死者に授戒・戒名を授けるのである。
 すでに亡くなっている死者は戒を守れないのではないかとの疑問が当然わくであろう。あまりに形骸化しているのではと。家族や友人との死別は残された者にとっても大きな試練だ。愛情や交流が深いほど悲しみも大きい。生前の故人との関係によっては、後悔や自責の念にかられることもある。死者への戒名授与とは、残された者がかけがえのない大切な人の死を機縁にして、亡き方の代わりに仏戒を守って生きていくことをお誓いする場なのである。仏の戒を守り通していくその功徳を亡き方へ振り向け供養していく。自分自身から故人に回して向かわす。回向(えこう)するとはこのような意味である。
 本山の授戒会でいただくのは四文字だけである。一般的にはこの四文字全体を戒名と称しているが、上の二文字は仏道修行者としての雅号(道号)で、下の二文字だけが戒名である。私たち僧侶も同じ四文字である。四文字の後ろに僧侶ならば和尚、一般の方は信士とか居士が付く。したがって基本戒名は六文字である。だから、六文字の頭に〇〇院とつく戒名は特殊なものである。生前の寺への貢献に敬意を表し死後叙勲のような形で住職から差し上げるべきものだろう。
 信心もそうなく、見栄や世間体から葬式の時だけ高いお布施を払って高位の戒名をもらうのは本末転倒である。先代に合わせて高い位階の戒名を授与されたならば、その布施行を亡き方への追善の感謝行ととらえ、さらには自分の宗教心の涵養のために寺との関係を深めてもらいたいものだ。長泉寺には坐禅会や婦人会・ご詠歌講もある。除夜の鐘のお手伝いやチャリティ行事もある。生老病死をテーマにした講演会や本山参拝の企画もある。このような行事に積極的に参加し信心を深めてほしいと思う。
 位階に違いがあっても葬儀のお経や儀式に違いはない。ましてや成仏に違いはない。戒名を与え、引導を渡せば死者は等しく涅槃の里・仏の国に赴くのである。
 長泉寺の場合、既存の檀家の戒名は先代の位階に合わせる一般寺院の慣行で付けているが、上位の位階にはあまりこだわらないでほしいというのがお寺の真情である。子供たちがみな家庭を持ち八十代の高齢で亡くなる方のお葬式と、年端もいかない子供を残し若くして生計の主が亡くなるお葬式と同じ必要はない。祭壇も返礼品も三七日のお料理も家庭それぞれの事情で違って良いのである。後者のお葬式には、行く末を案ずる奥さん子供のために親族や周囲の方々が工夫してお金がかからないようにしてあげたい。戒名も先代が院号だからといって院号の必要はない。子どもたちが立派に成長した暁に、十三回忌や十七回忌の報恩行として子どもたちの力で戒名を昇格してあげる、これこそ追善の姿である。
 人生80年の時代がやってきた。長生きできることは幸せなことだが、長期間寝たきりの後に超高齢で亡くなる時代でもある。介護や看護に家族が疲れきり、また金銭的な余裕がなくなってしまったケースもあろう。いきおいお葬式を簡単に済まそう、いやお葬式をしないでなどと考える方も出てくるかもしれない。しかし、お葬式は単なる通過儀礼ではない。故人の人生を振り返り、感謝し、亡き方を無事に仏の世界へ送り届ける儀式である。これは僧侶だけでできることではない。家族や縁につながる方々の総力を挙げて行う協働作業なのだ。この一連の弔いの作業を通して、家族や親しい友人たちと故人の思い出が共有され、遺された方々が支え合うきっかけとなり、家族の悲嘆が癒され、喪失の悲しみの中でもがんばって生きていこうという思いが生まれてくるのだ。
 住職としては良い葬儀だったと遺族から思われるような葬儀にしたい。そのためには、遺族から思い出話をいっぱい聞き故人の一生を偲ぶこと。遺族の悲しみ苦しみを自分のものにすること。お経の読み屋で終わらないこと。葬儀の目的や意義・戒名の文字についての説明を行うこと。家庭の事情も遠慮なく話してもらうこと。そんなことを心がけている。戒名や葬式について説明責任を果たすことが重要と思っている。

(参考)有名人の戒名
武田信玄 法性院信玄
紀伊国屋文左衛門 帰性融相信士
福沢諭吉 竜徳院宏文有明居士
樋口一葉 智相院釈妙葉信女
石川啄木 啄木居士
松本清張 清閑院釈文帳
岡本一平 一渓斉万象居士
坂本九 天真院九心玄聲居士
三島由紀夫 彰武院文鑑公威居士
美空ひばり 慈唱院美空日和清大姉
成田きん 錦室妙良信
坂井和泉(ZARD) 澄響幸輝信女


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