「宗教は聖なるもの」と考えるとお金の話しは不謹慎と思われがちだが、現実のお寺の経営ではお金の問題は避けられない。
人間が生活するためにはお金が必要だ。お寺も社会の中で存在する以上、一般の会社や組織と同じようにその運営には当然お金がかかる。
お寺は社会で言う生産活動を一切していない。何かを作ったり、商品を売ったりして得た利益でお寺を運営しているわけではない。福祉や医療などのサービスを提供し、その対価を金銭で得るサービス業とも違う。サービス業の対価は定額化されているが、お寺のサービス(?)である先祖供養や教化活動には対価基準がないからだ。
お寺の家族の生活費や寺院活動の経費は、お葬式や法事、年賀や盆彼岸におけるお布施でまかなわれる。その布施の額は尋ねられれば一般論として答えるが、原則包む方が決めるので上から下までピンキリである。若い方の中にはお布施のだいたいの目安を決めていた方がよいとの合理的な意見もある。これには開かれた寺院経済。明朗会計という点からある程度同調できないこともないが、檀家それぞれに家庭の事情・経済力や信仰心の違いもあり現実は無理だと思っている。
さてお寺の仕事というと、葬儀や法事で袈裟を着けてお経を読む姿を多くの方はイメージするが、それは寺の仕事のほんの一部に過ぎない。境内の植木の茂みで草をむしっていると「和尚さんがこんなことをするんですか」と驚かれたり、屋根に上り雨樋の落葉取りをしていると「和尚さん危ないですよ。業者に頼んだらいいのに」と心配されるが、何でも業者に頼んだら大変な出費になる。境内や伽藍の清掃、植木の剪定、網戸の張り替えやコンクリこねなど、必要に迫られできることは自分でやっている内に上手になり、今では苦ではなくなってしまった。ちよっとした大工仕事や土方仕事はお手のもの、お檀家へ配るお知らせや文書の作成、印刷や発送などは事務屋さん並だろう。
お寺の仕事は見つければ きりがない。だから忙しい時のお手伝いの申し出はとてもうれしい。参道や墓地の落ち葉を掃いてくれる人、境内のトイレを掃除してくれる人、位牌堂の位牌を拭いてくれる人、まごころで奉仕してくれている。布施はお金だけではない。労力奉仕もありがたいお布施である。お金の布施は施主名・金額をすべて記帳しているが、労力奉仕もしっかりと記録していかなければその方に申し訳ない。
このように、自ら利益を生み出さないお寺は、お檀家の金銭的援助と労力によって支えられて存在しているのだ。
お寺にはお檀家さんの組織である護持会がある。宗教法人長泉寺とは別に外部からお寺を支援する、学校におけるPTAと同じような組織である。護持会の歴史はそう古くない。昔は地区毎に総代さんがいて、檀家とお寺のすべての仲立ちをした。災害後の伽藍復旧や大きな行事の際には率先垂範、まっ先に金銭的援助もしてくれた。その総代さんは、古くからの旧家で、多くの田畑や財宝を持ち、何代にもわたって経済的に寺を支援することを誇りにするような地域の素封家がその役についた。しかし大檀家であった方々も、終戦後ご存じの農地解放によって田畑を失い、戦前のようにお寺のために特別の負担を買って出る経済力がなくなってしまった。
お寺にも創設以来の不動産があった。戦前まではこれらの不動産を貸し、その小作料も寺院運営の大きな収入になっていた。終戦後は土地持ちの大檀家と同じように田畑は人手に渡り、小作料が入らなくなって多くの寺院が運営困難になった。
そんな中で発足したものが護持会である。名前の通りみんなの力で寺を護り維持する組織である。お檀家からいただいた護持会費やお布施は本堂の火災保険や伽藍の営繕費、法要儀式の運営費、本山に納めるお寺の負担金(宗費)などに使われる。そのほかに長泉寺の場合は一般を対象にした布教活動に力を入れている分、檀信徒布教経費が多いのが特徴だ。教化団体である御詠歌講・婦人会・百八の会・坐禅会などへの助成や、団体参拝や講演会・研修会・チャリティ落語会などの開催、寺報などの文書伝道、掲示伝道、新入生安全祈願、墟区別檀家懇談会等…。
百五十年の星霜を重ねる伽藍の維持管理はほんとうに大変だ。古い建物は定期的な修繕が欠かせない。人寄せの多い月や暖房を必要とする月は、一般家庭と違い光熱費はあっと驚く金額である。
住職は宗教法人から支払われ給与で生活している。宗教法人は無税と思っている方が多いらしいが、宗教法人の場合、境内や墓地の固定資産税や公益事業には税金がかからないだけで、それ以外の不動産や住職の給与所得には世間一般と同じく課税されている。長泉寺の場合、法人所有の宅地の賃貸料や会館の使用料は全額を護持会本会計に繰り入れている。
住職家族の住む庫裡は宗教法人のものであって住職のものではない。住職家族はそこに住ませてもらっているだけなのだ。同じ建物に生活するのだから、法人のものと住職個人のものとの区別が付きにくくなりがちだが、この点は公私混同にならないように注意している。住職家族が生活する空間に関しては住職個人の財布から、檀信徒の集会に使う広間などの整備は法人の財布から、電気代など管理費も公私を分けている。
檀家から信頼される「開かれた寺院運営」を目標にして、これから少しずつ寺院の経済的な面も開いていきたい。