僧侶にとってイヤな言葉に「坊主丸もうけ」がある。
坊主丸もうけとは、僧侶が労働行為をせずに、あるいは労働量が極めて少ないわりに多額のそして不当の収入を得ているということである。
小学生当時、住職であった祖父は東京住まいをしており、寺の檀務は副住職の父が務めていた。その父も教師で日中は不在だったため、お檀家の応接・内外の清掃は母の仕事だった。日曜には家族総出で本堂のふき掃除をするのが常だった。私も境内で遊んでいる仲間を横目に雑巾(ぞうきん)がけをしていると、床板のささくれで手にトゲを刺したものである。親子水いらずの旅行など縁のない子供時代だった。
私が高学年になると、祖父はひらがなだけのお教本を作ってくれた。そして訳のわからぬままつっかえつっかえ練習させられた。学校を早退して葬式に行かされるのが一番いやだった。
小さいころの母の思い出は、炎天下、境内の草むしりの姿である。そんな母の後ろ姿を見ていると、いやでいやで仕方のない庭掃除も自然と手伝うようになった。おかげで今も草むしりは苦ではない。
そんな父母の苦労を知っているから、けんか相手から坊主云々の言葉が出ると、見境なく相手に飛びかかって行ったものである。
高校・大学と曲がり曲がって時間もかかったが、今は図らずも生まれた寺の副住職を務めている。思い返すと、寺を出てから僧侶として寺に戻るまで多くの邂逅(かいこう)があった。駒大時代の友人と先生、本山でともに涙を流した安居(あんご=修行)仲間、今でもご指導いただいている古参(こさん=先輩)和尚。これらの方々の温かい励まし、厳しい此咤(しった)がなかったら僧としての私はなかった。
今はこの僧侶という仕事を天職と思い、喜んで務めさせていただいている。ありがたいと思っている。
坊主丸もうけ…初老を過ぎてようやく聞き流せるようになった。
さて、お檀家からのお布施はそのまま住職の生活費になる訳ではない。僧侶にはお布施の一部が給与として支給される。もちろん所得税も納めている。しかしその支給額が生活費に充たず、やむをえず他に糧を求めて兼職している僧侶はなんと半数を超える。勤務先からの収入で寺を営繕護持している住職も少なくない。
寺の仕事は葬式と法事だけだと思っている方が意外に多い。毎朝本堂での朝課(読経)も仕事のうち。日曜朝は他の参禅者とともに足を組む。寺はテラテラしていなければならないので清掃は欠かせない。暑い夏は雑草との闘いである。
数百年の星霜を経ている伽藍(がらん)の維持管理も頭が痛い。豪雨のたびの側溝の泥上げ、雨樋の落葉とり、瓦のずれ直し、庭木の剪(せん)定…。
教化活動も大事である。青少年の座禅会、ご婦人方のご詠歌講や婦人会、禅師さまのお代理が地方を巡る特派布教、檀信徒の本山研修、各種研修会…恒例行事はめじろおしで息つく暇はない。
昔のお坊さんは総じて長寿だった。達磨(だるま)さんの百五十歳は後世の付け足しがあるとしても、お釈迦(しゃか)さま八十歳、一休さん八十八歳、良寛さん七十四歳と、人生五十年に満たない時代にたいへんな長生きである。近ごろは四十代、五十代でポックリいくお坊さんが多いのも事実。これは働きすぎのせいか。
労働量を考慮しても、決して坊主丸もうけなんかではないのである。