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モン族の村を訪ねて

 北タイからラオス、中国の雲南にかけて、現在でも焼畑農業を営むモン族という少数山岳民族がいる。彼らは驚くほど美しい刺繍(ししゅう)の伝統技術を持っていて、虫めがねで見るような細かいクロスステッチで衣装を飾る。黒地に鮮やかな赤や青、黄などの原色の幾何学模様が南国の強い日差しの中で不思議なほど周囲の雰囲気にマッチしている。
 数年前、民間の国際協力団体「シヤンティ国際ボランティア会(SVA)主催のスタディツアーに支援者のひとりとして参加する機会を得た。
 タイ最北部、ラオスに程近いソブカーム村は人口六百人のモン族の村である。
 SVAはこの村で保育圍運営や奨学金支給の教育支援をする一方、女性の経済的自立を目的に伝統刺繍を使ったクラフ(手工芸品)の製作を指導している。この村で行われているSVAの活動を視察し、開発途上国が抱える問題や私たち先進国に何が求められているのかを学習することがこのツアーの目的であった。
 私たちが到着したその晩、村人たちは私たちのために歓迎会を催してくれた。子供から大人までみなびっしりと刺繍のされた民族衣装を着ている。訪問客との末長い友好を祈るバイシーという儀式では、参加者全員から手首に白い糸を結んでもらった。この糸を通して特別な幸運がもたらされるとのこと。
 その後は飲めや歌えの大宴会。モンのしきたりで地酒を飲み回し友情を深め合った。モンの若者は酔うほどに打ち解け、身ぶり手ぶりで民族の歴史を語る。言葉は理解できなくともその情熱は私たちに十分伝わり、旧知のように肩を組み強く握手した。
 モン族の歴史は受難の歴史である。中国の清朝のころ、安住の地・雲南を追われ、インドシナ山岳地帯に移り住む。今世紀に入り、ラオスモンは民族の独立を賭け宗主国フランスに協力、ベトミンと戦う。ベトナム戦争ではパテトラオを倒すため米国に味方する。戦争終結後、インドシナ三国が共産国家としての歩みを始めると彼らは迫害を受け、その多くが殺され、多くが難民としてタイに逃れた。
 モンには独特の生活習慣がある。彼らは精霊(ピー)の存在を信じ、自然の中で生活することを好む。一夫多妻であるが家族は仲睦まじい。村を歩いていると日本の羽根つきに似た遊びを見ることができた。餅つきもするし豆腐も食べる。顔立ちは私たちにそっくりで自然と親しみも増す。
 仏教の思想に「重々無尽の縁起(じゅうじゅうむじんのえんぎ)」というのがある。私たちの存在や社会の在り様は絶対的なものではなく、縦糸と横糸が布地を織り上げるように、何事も相互に依存しあって存在するという思想である。
 日本人の大好きなつまみ「柿の種」の中にはタイで作られるものがある。学校給食の骨なしアジのフライは、タイの子供たちによりピンセットで小骨が一本一本抜かれて送られて来る。見えない所で途上国が私たちの生活に入り込んでいる。
 資源の浪費、環境破壊、貧困など途上国の苦悩と引きかえに文化生活を享受している私たち。だから、何らかの形でこれらの国々と関わっていかなければならない。それも一時の感傷ではなく、腹をすえて死ぬまでである。
 このツアーで教えられた言葉に「地球的視野で考え、足元で行動する」があった。まさに看脚下、日常生活の見直しからである。構えず力まず一歩ずつ、それが私自身の国際化と思っている。



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